things happened
Shiori ICHIKAWA
身近な生き物や小さな出来事へのまなざしから、制作は始まっている。
哲学との出会いを通して、その関心はやがて、人間の知覚や社会のあり方へとつながっていった。
本展をきっかけに、制作の背景にある考えや、作品を通して見つめているものについて話をうかがった。


Shiori ICHIKAWA / 市川 詩織
人間の影響を受けて変化していく生き物たちを描くことで、自分達が抱える問題を客観的にみることはできないか。また、言葉を持たないそれらの生き物の情動を探る時のように、多様な価値観を持って議論し、問題と向き合うことはできないか。
そのような問いかけを、糾弾ではない方法で行うことを自身の制作の課題としています。
https://www.shioriichikawa.com/
─ これまで、動物や昆虫をモチーフにしながら、独自の視点で作品を描いてこられたと思います。
その流れの中で、今回「things happened」というタイトルにしたきっかけはありますか。
最近、少し考え方が変わってきたところがあって。
例えば、私は虫が死にそうになっていたら助けるんですけど、一匹を助けたとしても、それで何か大きなことが起こるわけではないよな、と思ったんですよね。
生物全体を助けられるわけでもなく、その場で起きている一つの現象を少し良くしただけで。結局、一人の人間にできることは限られている。それって、とても人間的な行為だなと思いました。
「そんなことをしても意味がない」と言われることもあるんですけど、でも私は、そういうことって大事なんじゃないかなという気持ちをずっと持っています。そこで起きた小さな出来事にちゃんと目を向けて、向き合う。その姿勢自体は、とても小さな積み重ねだけど大事だと思うんです。
それが誰かに伝わっていくことで、結果的に何か変わっていくものもあるんじゃないか。ただ起こった出来事ではあるけれど、そこからまた何かが変わっていくこともあるんじゃないかな、という感覚はありました。

─ 小さな出来事が、波紋のように次の何かにつながっていく、ということでしょうか。
ちなみに、虫を助けるというのは具体的にどんなことをするんですか。
最近は暑すぎるので、よく見るとコガネムシがひっくり返っているんですよね。それを地道に拾って、日陰の土があるところに置いて、少し水をかけたりします。ミミズも、ひんやりした場所に移したり。ハエみたいに、人間からすると害虫と言われるものでも助けます。家の中に入ってきた虫も、基本的には殺さず外に放します。
ただ、虫は好きだけど飼うというのは少し違っていて。ハエトリグモみたいに自分で入ってきたものは、そのままいてくれてもいいんですけど、ヤモリなど「入ってきちゃったな」という感じのものは外に出します。
─ 市川さんがモチーフにしている生き物は、一般的に人気のある動物というより、害鳥や害虫など、人間から少し嫌われやすい存在が多いように感じます。蚊なども描いていますよね。それは、あえてそういったモチーフを選んでいるのでしょうか。
多分、自分の体感に近いからなんですよね。
子どもの頃は、周囲から少し浮いていて、「ちょっと変わった子」と思われるようなタイプでした。育った場所も過疎化していて、一人で遊びに行ける範囲に、ほかの子どもがほとんどいなかったんです。そうすると、同世代の中で自然に育まれるようなコミュニケーション能力が、あまり身につかないんですよね。
親も獣医でとても忙しかったので、私は基本的に外で自由に遊んでいました。人間とちゃんと話す機会があまりなくて、話し方が分からなかったんです。それで、小学校に入ったときも、動物同士のようなコミュニケーションを取ろうとしてしまって。
それまでは言葉がないコミュニケーションでも成立していたのに、言葉がある世界に入ったら、逆にうまくコミュニケーションできなくなった感覚がありました。その頃の自分は、どちらかというと、人間に紛れ込んだ虫みたいな気持ちだったんですよね。人間の世界にいると、周囲を観察しながら人間らしい行動を取らなきゃな、と考えていました。ある意味、人間に同化していく過程があったんだと思います。

─ 田舎のコミュニケーションと、都会でのコミュニケーションって、また少し違いますよね。私も子どもの頃は、石とコミュニケーションしていました。
石も、やろうと思えばできますよね。人間がそこに何かを見いだそうとすれば。木とかは、もう少し近い感覚があります。何か感じることはありますね。
─ そうした感覚が作品につながり始めたのは、いつ頃ですか。
小学校に上がった頃から「人間ってよく分からないな」と思っていました。
自宅の1階が動物病院だったので飼い主と動物たちのコミュニケーションをよく観察していたのですが、犬と人間は同じ言語を持っていないので、通じるかわからない中でも、人間はすごく頑張るんですよ。
「どこが痛いの」「ここなの」と、何とか相手の状態を汲み取ろうとする。それを見て、「人間って面白いな」と思いました。そこまで別の生き物を理解しようとすることって、ほかの生き物にはあまりないんじゃないかと思って。それで犬について調べ始めたんです。
犬はもともとオオカミが人間に適応してきて、さらに人間の好みに合わせて犬種が作られてきた。そこには、人間の欲望がすごく表れているんですよね。だから、「犬を調べたら人間が分かるんじゃないか」と思い、ユクスキュル*の『生物から見た世界』を読んでみました。
生き物にはそれぞれ固有の「環世界」があって、時間の感じ方も、世界の見え方も違う。それぞれが、自分の世界の中で生きている。
でも、人間はそれぞれの世界を想像して、その間を行き来できる。その本を読んで、「あ、自分、人間か」と思って。それまで自分が人間なのか分からないような感覚が少しあったんですけど、「やっぱり人間なんだな」と。それなら、人間らしいことができるかもしれないと思って。
そこから犬だけではなく、ほかの生き物にも視点が広がっていきました。
*ユクスキュル:ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(1864–1944)。ドイツの生物学者・哲学者。生物はそれぞれ固有の知覚世界=「環世界(Umwelt)」を生きているとする考えで知られる。『生物から見た世界』は、その概念をわかりやすく論じた代表的著作。

市川さんの本棚。生物や進化、哲学にまつわる本が並ぶ。
─ 絵を描くということと、そういった考え方が結びついたのはいつ頃ですか。
絵を描くこと自体は、小さい頃からすごく好きでした。進路を決めなくてはいけない時期になって、獣医になるのか、ならないのかという話になったときに、獣医は私には少し違うなと思ったんです。ただ、ほかの生き物への興味は全然なくならなかった。
「この虫は今何を考えているんだろう」「この犬は何を考えているんだろう」と考えることを、そのまま残しておける仕事って、現代美術しかないんじゃないかと思いました。自分が考えていることと、絵を描くという行為を結びつけられるのが、現代美術なのかなと。
中学3年生の頃、ハラ ミュージアム アーク(現・原美術館ARC)に連れて行ってもらって、そこで初めてちゃんと現代美術を見たんです。 「あ、こういうことができるんだ」と思って、「これかもしれない」と感じました。
─ 大学に入ってから、現在につながる表現を始めたのでしょうか。
大学の学部時代は、自分が絵とどうつながっているのかが曖昧で、自分が歩んできたことと、絵がなぜ結びつくのかを考える時間でした。
大学院に入ってから、自分が考えていたことと哲学をつなげてもらう機会があって、そこからいろいろな本を読むようになりました。
それまでは、作りたいものや表現したいこと、「なぜ自分はここにいるんだろう」という感覚が、全部ばらばらだったんです。何か理由があってここまで来たはずなのに、それをまだ言葉にできていなかった。大学院1年生くらいの頃に、それまで別々だったものが「あ、こういうことだったんだ」と、ひとつにつながった感じがしました。
─ 何か強いきっかけがあったのでしょうか。それとも徐々につながっていったのでしょうか。
徐々にだと思います。
それまで哲学を体系的に学んだことがなかったんです。大学院で、「あなたが話していることは、この分野の哲学につながるんじゃないか」と教えてもらって、そこから少しずつ本を読むようになりました。読んでいくうちに「面白いな」と思うようになって。
それで、自分が本当に興味を持っていたのは、美術そのものというより、もしかすると哲学なのかもしれない、と気づきました。私自身と表現とのつながりを見出せたとも言えます。

─ 市川さんの作品には、一点一点に文章が添えられていることがありますよね。その文章も含めて見てもらいたい、という気持ちはありますか。
そうですね。ただ、私は答えを出せないんですよね。「これはこうです」とは言えなくて。
偶然ここまで出会ってきた経験が組み合わさって、その時点での自分の答えになっているだけなので。それまで体験したこと、得た知識が組み合わさって偶然生まれた妄想を、人生の一段階ごとに絵にしている感じです。自分の体験を交えながら絵にして、それを足跡みたいに残していく。
それを鑑賞者に手渡すことは、種を渡すような感覚に近いです。テキストは種を受け取ってもらうために必要な堅牢な器のような存在で、そこからどう育てるかは受け取った人が自分で体験したことから力強く選び育てて欲しいと思っています。
─ 作品を展示するうえで、「こう見てほしい」「こう感じてほしい」という思いはありますか。
私が考えた答えどおりに思ってほしい、というのはないですね。私自身も答えを出していない状態で描き始めているので。
見る人も、作品を出発点にして、自分で答えを考えるんだと思います。私と鑑賞者が、同じスタート地点に立っているような感覚です。同じ時代を生きている人たちなので、作品の状況を見て思い浮かべることには、ある程度共通するものがあると思うんです。
だからこそ、その先は自分で考えてほしい。私に答えを聞かないほうが、その人の中に何かの「種」として残る気がします。答えは一つではないし、その人の中にある答えも、その先の人生で変わっていくと思うので。いつ見るかによっても、受け取り方は変わりますよね。
自分がやっていることって、ある意味、全体主義とは逆の方向に向かうことなのかなと思っていて。
大学院の頃にポーランドへ行って、その流れでアウシュヴィッツにも行きました。現地に日本人のガイドの方がいて、詳しく話を聞いたんです。
そのときに、「この場所にはヒトラーの写真がないことに気づきましたか」と言われて。確かに、一枚もないんですよね。もちろんヒトラーの力は大きかったけれど、あの虐殺は一人だけが起こしたものではなくて、多くの人が強い言葉や大きな流れに動かされ、自分で考えることをやめてしまった結果でもある、という話をされました。
その一方で、「ここを訪れた一人ひとりが、ここで起きたことを誰かに伝えていけば、それもまた世界を変える力になる」と言われたんです。それを聞いて、すごく励まされた気持ちになって。その頃ちょうど、自分に何かできることがあるのかな、と考えていた時期でもありました。
自分が持っている、小さなものに目を向ける視点を少しずつ周りに広げていくことで、戦争のような大きな問題に対しても、何かを変える力になるかもしれない。かなり主語の大きな話なんですけど(笑)。
でも、一人ひとりが自分で考えて、小さなところから変化を広げていく。そういう方向を目指しながら制作しています。

─ 今の社会については、どのように感じていますか。SNSやスマートフォンが身近になって、自分で考える前に答えを求めてしまうことも増えているように思います。
私は「北風と太陽」の話がすごく好きなんです。
北風と太陽が、どちらが先に旅人の服を脱がせられるか競争する話ですよね。北風が強く吹くと、旅人は逆に服を着込んでしまう。でも、太陽が暖かく照らすと、自分から服を脱ぎ始める。
今の世の中の問題への私の姿勢も、少しそれに近いと思っています。「絶対こうだよ」「世の中を良くしなきゃいけない」「戦争をやめなきゃいけない」と強い言葉で言ってしまうと、まだ自分の考えが定まっていない人は、かえって拒否してしまうことがある。
動物愛護の問題でも似ていて、過激な写真を見せられることで、「もう見たくない」と問題そのものから離れてしまう人もいます。
たぶん、世界の大半は、強い言葉だけでは動けない人たちなんじゃないかと思うんです。
だから、本当に何かを変えるためには、別のアプローチを試してみるのも必要なんじゃないかと思っています。強く訴えるだけではなく、それぞれの立場に寄り添った言葉選びや、愛情深い見方の可能性を示してみる。
本当は力になってくれるかもしれないけれど、今は少し疲れていたり、動けなくなっていたりする人たちも、自然と自分の意思で関われるような方法を考える。
そうやって、一人ひとりが自分で考えながら、少しずつ変化が広がっていくようなやり方を続けていきたいです。
─ 考えていることを言葉にできて、それを作品に落とし込んでいるところが、とても面白いと思いました。しかも強く言い切るのではなく、その「温度感」が作品になっているように感じます。
人間を描かないのも、多分それが理由なんですよね。
特定の人物や人種を描くと、それ自体がひとつのフィルターになって、作品の中身に入る前に、そこで何かを判断されてしまう気がするんです。人種や宗教といった問題も関わってくるので、そう考えると、人間以外の生き物のほうが表現しやすい部分があります。
まずは先入観なく作品の中に入ってもらって、そのあとに「何か少し感じたな」と残るくらいがいい。その温度感を大切にしています。ただ、そのバランスはすごく難しいですね。
─ 私たちも、市川さんの考えや作品に触れる人を少しずつ増やしていくという意味で、協力できればと思います。
本日はありがとうございました。

Interviewer: Asuka Watanabe, Atsuya Nagata
Photo: Jun Tsuchiya (gallery installation)
things happened
Shiori ICHIKAWA 個展
2026.8.28.Fri – 9.20.Sun
-Artist Statement-
私はこれまで、自分が街で実際に目にした生き物たちの断片的な体験について、そこに妄想・解釈を織り交ぜて絵にしてきました。その目的は、どうにもならない状況に置かれた生き物の、言葉にならない心情を読もうとするその行為自体を、鑑賞者と共有することにあるのではないかと思います。
ただそこに起こり、偶然通りかかった私がそれを観察し、ハラハラし、「これってこういうことだったのかもしれないよ」と絵にしたものたち。
鑑賞者はその妄想を受け取り、「まさかそんなわけはあるまい。でも、もしそうだったとしたら。」とその可能性を一旦飲み込み、描かれた生き物の心情に寄り添い、想像してみる。それは、人間同士でも大切な行為に思えます。
いろんなことが起きているこの世界で、私は大したことはできないけれど、それらの行為が絵をもって緩やかに広がりを見せたなら。
そんなことを考えながら絵を描きました。
【開催日時】2026年8月28日(金)- 9月20日(日)
【開館時間】12:00-18:00 (月曜、火曜休館)
【会場】K ART GALLERY
*9月20日(日)は16時まで

Instagram: sshiori_ichikawaa
Website: https://www.shioriichikawa.com/