
日常の、のちの
Atsuya Nagata / 永田 惇也
日々の感情や記憶を、流れるような線と鮮やかな色彩で映し出すアーティスト、Atsuya Nagata。
国内外のさまざまなプロジェクトで経験を重ね、独自の表現を培ってきた彼が、今年初めての個展を開催。
その創作の源や今後の展望について、デザインとアートの領域で活動するAsuka Watanabeが直接話を聞きました。
Atsuya Nagata is an artist who conveys daily emotions and memories through flowing lines and vivid colors. Building on projects in Japan and abroad, he has shaped a distinctive style and now presents his first solo exhibition. In this interview, Asuka Watanabe talks with him about his creative process and inspirations.


Astuya Nagata / 永田 惇也
画家。日々の出来事や思考を書き留めた日記を制作の起点としている。内面の変化や揺らぎを、一筆書きの線にし、言葉ではとらえきれない心の余韻を画面に刻む。その筆跡は、数秒の動きのなかに記憶や感覚を映し出し、鑑賞者の心に呼応する。近年では、都内マンションのロビー、ホテルの客室などに作品を多数提供し、今回が初の個展となる。
https://www.instagram.com/atsuyanagata/?hl=en
展示タイトル「日常の、のちの」について
─ 早速ですが、今回の展示タイトル「日常の、のちの」にはどのような意味があるのでしょうか?
ギャラリーのディレクターと話している中で、「プロセスに焦点を当てよう」ということになりました。展示しているのは「線」ですが、その前提には日記があって、その日の出来事や感情がある。そこから線が生まれるので、「日記の後に線がある」という意味を込めタイトルを「日常の、のちの」に決めました。
自身にとって初めての個展ということもあり、そのプロセスを可視化できればと思いました。
日記と制作の関係
─ その日記があるからこそ線が生まれる、ということですね。普段はどんな風に日記を書いているんですか?
昔は毎日書いていましたが、最近は時間を決めず、思い立った時に書いています。強烈な出来事や心が動いた瞬間に「書きたい」と思って残す感じですね。最初は殴り書きした言葉をそのまま書いていましたが、今は少し整えてから書いています。語尾を直したり、リズムを調整したりして、自分に一番響くようにまとめ直す。書いたものを読み返して、もう一度自分に突き刺さる感覚があります。ある意味で「自分との対話」ですね。
─ 日記から線へとつながる。その線は、描くときどんな風に生まれていくのでしょうか?
体に任せる部分もありますが、キャンバスのサイズを決めて線の構成から考えます。ただ、思い通りにはならないことが多くて、納得いくまで描き直します。色はかなり意識して選びますね。線は衝動的な部分もありますが、色は思い描いた通りになるまで作り込みます。
─ 今回は作品の横に日記も添えられていますが、文字の達筆さも印象的でした。文字や線へのこだわりは、どこから育まれたのですか?
昔から時間があれば文字を書いていました。最初は丸文字でしたが、教科書や文献に出てくる達筆な文字を「かっこいい」と感じて模写を始めたのがきっかけです。昔の人の字やカリグラフィーに憧れて、「字ってかっこいい」と思うようになりました。
─ やっぱり「線」そのものへの愛着が強いんですね。字やカリグラフィーも線からできていますもんね。
はい。時間があると線を描いて遊ぶのも好きでした。適当に引いた線が形に見えてきたり、ストロークを重ねるのが楽しかったんです。特にひらがなは曲線が多くて自由につなげられるのが気持ちよく、縦書きで「お願いします」と書くとひとつの線のように流れていく。英語はカクカクしていて汚い字になっちゃうんですよ(笑)。改めて考えると、自分の「文字」と「線」へのこだわりのルーツは、ひらがなにあると気づきました。

失敗や偶然が生むもの
─ 制作の過程で、思い通りにいかなかったことや失敗から新しい表現が生まれることはありますか?私自身そう感じることがあるので、お聞きしたいです。
ありますね。むしろそれを待っているところもあります。自分が考えて描けるものって、どうしても「どこかで見たことがあるもの」になりがちなんです。でも思い通りにいかないときや、ちょっとした失敗から予期せぬ表現が生まれる。そういう瞬間が面白いんです。
僕自身はパソコンではなくフィジカルで描いているので、絵の具が飛んだり、思った色が出なかったり、線が太すぎたり細すぎたりといった失敗はよくあります。でも、その「ずれ」や「違和感」を残すことが大事だと思っていて、85%くらい上手くいっていなくても「これは残しておこう」と思えることがよくあります。
─ その「ずれ」や「違和感」を残すことが大事なんですね。一方で、意識的に壊すこともあるんですか?
そうですね。むしろ一度壊すことで新しい発見が生まれることもあります。思い切って200%くらい出し切って、失敗してもいいからやってみる。壊しどころを見極める感覚は大事にしています。
─ 準備と即興のバランスはどうしていますか?
完全に即興ではないですね。刷毛の太さや色の混ぜ方、キャンバスの下地などはかなり準備して臨みます。ジャズのようにセッションで即興的にやるのではなく、クラシックのように「楽譜=設計」をつくって、それに沿って演奏する感覚です。その「楽譜」にあたるのが日記。そこに書かれた言葉や感情が基盤になっていて、それを線に変換していくイメージです。
─ つまり、日記が「設計図」であり「楽譜」のような役割を果たしている、と。制作はそれを演奏するような感覚なんですね。
そうですね。日記が音符やBPMのような役割を果たして、それを演奏することで作品を作っているのかもしれません。
日記を作品と共に見せるという挑戦
─ 作品とともに日記を展示するというのは珍しい試みですが、どんな経緯で取り入れることになったのでしょうか。
自身はもともと「日記は人に見せるものではない」という思いが強く、公開には抵抗がありました。ですが、ギャラリーディレクターとのやり取りの中で「作品の背景をまったく伝えないのは惜しいのではないか」と提案があり、完全公開ではなく「覗き見る」ような形で展示に取り入れることにしました。
─ 公開にはかなり迷いもあったのでは?
ありましたね。最初は正直、心が追いつかなくて……。でも最終的には“やってみよう”と吹っ切れました。
反応を受け止めることも含めて作品になる、そう感じたからです。展示は完成形ではなく、観客のリアクションも含めて動き続けるプロセスだと思うようになりました。
─ 実際に展示してみて、日記を並べることはあなたにとってどんな意味を持ちましたか?
新しい領域に入った感じがあります。詩人やミュージシャンが言葉や歌で自分をさらけ出すように、文章と絵の両方を提示する。展示ひとつがすべてではなく、生き方や過程も表現の一部なんだと実感しています。文章と絵を同時に見せるやり方は、作曲・歌詞・ジャケットデザインをすべて一人で担うようなものかもしれません。だからこそ挑戦として面白いと思っています。

永田氏が直筆で綴った、各作品に対応する日記
音楽と制作の切り離せない関係
─ 制作の際に、音楽とはどのような関わりがありますか?
切り離せないですね。普段は音楽を聴きながら描いていて、むしろ音楽がないと描けないくらいです。リズムがそのまま制作の原動力になっています。
─ そもそも音楽とのつながりは、どこから始まったのでしょうか。
東京に引っ越して間もない頃、クラブで出会った仲間たちと意気投合して、アーティストやDJが集まるコレクティブ NoNationsに参加したのが始まりです。彼らはすでにDJとして活動していて、僕はまだ手探りでしたが、フライヤーをつくったり絵を描いたりすることで、自分の居場所を見つけていきました。音楽イベントと絵を描くことは、最初から常に並行していたんです。
─ 最初からフライヤーや絵を担当する立場だったんですか?
そうですね。仲間に、「Atsuyaがフライヤーやってみたら?」と任されて、自由に挑戦できる雰囲気でした。最初は、アプリケーションのペインティングツールを使って抽象的な線で枝や植物の写真で試したりと、未完成なものばかりでしたが、それでも音楽イベントと直結していたので、自然と制作を続けることになりました。
─ やはり音楽とアートの活動は、最初からずっと並行してきたんですね。
はい。イベントがあるたびに「絵を描いてみて」と声がかかり、そのリズムがずっと続いていました。気づけば6、7年経っていて、音楽と絵は最初からずっと並走している関係だと思います。

今後の挑戦
─ 最後に、今後挑戦してみたいことを教えてください。
ニューヨークで展示をしたいです。22歳の時、父に「暇なら海外に行ってこい」と言われて初めてひとりで渡航したのがニューヨークで、その体験が忘れられなくて。「いつか必ず戻りたい」と思ったんです。現地のアーティスト・イン・レジデンスに参加して作品をつくるのもいいですし、自分の絵をニューヨークで提示したい。最近ようやく「もう行くしかない」と腹を括れたところです。根拠はないけれど、直感で「次のステップはニューヨークだ」と感じています。
日記という日常に寄り添う営みを出発点に、線と色彩は揺らぎながら新たな表現へと展開していく。初個展「日常の、のちに」は、完成した作品を超えて、アーティストとしての生き方や思考の過程までも映し出す試みとなった。
本展は現在、K ART GALLERY にて開催されている。
Interviewer: Asuka Watanabe
グラフィックデザイナー/アートディレクター。東京を拠点に、国内外のアートプロジェクトや音楽フェスティバルのビジュアルデザインを手がけるほか、アーティストとしても活動している。
https://www.instagram.com/asuka_afo/

日常の、のちの / Atsuya Nagata 個展
2025.8.15 Fri – 9.7 Sun
-Artist Statement-
日々の出来事や思考を日記に書き留め、内面に生まれた感情の動きや微かな揺らぎを一筆書きの線として描いている。筆を画面に置いてから離すまでの数秒間に、記憶や感情の余韻が反映され、線の揺らぎが現れていく。
心の奥に潜む、言葉にならない感覚や名前のない気持ちに、かすかな輪郭を与えるように現れる線。それはまるで、自己と他者、内と外とのあいだに生まれた心の機微をなぞる記録でもある。
【開催日時】8月15日(金)- 9月7日(日)
【開館時間】12:00-18:00 (月曜、火曜休館)
【会場】K Art Gallery
*9月7日(日)は16時まで
https://k-art-tokyo.com/exhibition/%e6%97%a5%e5%b8%b8%e3%81%ae%e3%80%81%e3%81%ae%e3%81%a1%e3%81%ae/
Photo by Jun Tsuchiya