百八○°
菊地 寅祐
菊地 寅祐
1998年生。山梨県出身。
2025年 東京藝術大学 大学院美術研究科 彫刻専攻修士課程 修了。
現在、同大学教員研究助手として勤務。
Born in 1998 in Yamanashi, Japan.
Completed the Master’s Program in Sculpture at the Graduate School of Fine Arts, Tokyo University of the Arts, in 2025.
Currently works as a Research Assistant at the same university.


菊地 寅祐 / Torasuke Kikuchi
1998年生。山梨県出身。
2025年 東京藝術大学 大学院美術研究科 彫刻専攻修士課程 修了。
現在、同大学教員研究助手として勤務。
─ 美術の世界に入ったきっかけはありますか?
僕は両親が陶芸家で、二人とも陶芸をやっていました。小さい頃からずっと粘土を触ってきたこともあって、高校を出る頃には、自然と美術系に進みたいという気持ちがやんわりと決まっていました。
─ 木彫を選んだ理由はありますか?
粘土はずっと触っていて、すぐに形を直せるし、思い通りに作れるという特性があります。一方で木は、彫ったらその場所が絶対に元には戻らない。上からくっつけることもなかなか難しい素材なので、その緊張感がすごくいいなと思いました。
大学1年生の7月ごろに木を触り始めて、その時の実習がまったくうまくいかなくて。粘土はずっとやっていたので得意だったんですけど、木だけは全然うまく彫れなかったんです。その悔しさから、木を選んだところもあります。
─ それからずっと木を扱っているんですね。
そうですね、他の素材も試したりしてたんですけど、今はずっと木を彫ってます。
苦手だったんですよ。最初は全然わからなかった。
─ 何がそんなにうまくいかなかったんですか?
美術館とかで作家さんの木の作品っていっぱいあって、すごく上手に彫れてるように見える。
それが簡単にできると思ってしまっていたんですけど、実際に彫ってみると、そうはうまくいかない。
粘土だったら簡単に作れる人の頭部のようなものも、木で彫るとなると、塊から削り出して膨らみを作っていく必要があります。粘土は足して作っていけるけれど、木はその逆です。そこから制作の考え方が難しかったですね。要は、修正が効かないんですよね。

─ うまくいく、うまくいかないというのは、ご自身の審美眼で判断されているんですか?何か法則のようなものはあるのでしょうか?
まず、道具がちゃんと整備されているかというのが第一にあります。刃物をきちんと研げているかどうか。その研ぎができていないと、綺麗な木の表面に仕上がらないこともあります。
僕が扱っているのは、全部、樟という樹種なんですけど、樟は木目が交差している木なんです。
木をうまく彫れる方向を順目(ならいめ)、うまく彫れない方向を逆目(さかめ)と言うのですが、樟は木の表面をよく観察していないと、綺麗に仕上げることが難しい木材なんですよ。
いわゆる薪割りのように綺麗に割れるのは、ヒノキやスギだったりします。樟は交差木理といって、木目が複雑に入り混じっているので、綺麗には割れないんです。
レリーフのような作品を作る際には、割れずに済むんじゃないかなと思って、薄い木の作品も彫り始めたことがあります。
─ 今回の展示のステートメントについて、もう少し深掘りして伺えますか?
今回の展示タイトルにも入っている「百八◯°」という言葉は、映画の撮影方法にある「180度規則」から来ています。
180度規則というのは、たとえば二人の人物が向かい合っている場面を撮る時に、カメラがある一定の線を越えないようにするルールなんです。そうすることで、片方の人は画面の右側から左を向いていて、もう片方の人は画面の左側から右を向いている、というふうに、二人が向かい合っている関係が自然に伝わります。
でも、その線を越えて反対側から撮ってしまうと、人物の向きや位置関係が入れ替わって見えてしまうことがあって、見ている人にとっては、少し混乱するような画面になる。説明だけだと少し難しいんですけど、映画の中ではそういうルールが昔からあって、それを守ることで自然に見せる、という考え方があります。
一方で、その規則をあえて破ることで、新しい見え方を生み出そうとする映画の流れもあって、そこが面白いなと思いました。
そこから、彫刻におけるそういう規則って何だろう、と考えたんです。彫刻や木彫作品は、基本的にすごく重たいものです。
床に置くことや、台座の上に置くことが、当たり前のようになっているところがあると思うんです。
そういう、重力に対して当たり前に作品を設置することが彫刻におけるひとつのルール、あるいは制約なんじゃないかと思いました。それが、映画でいう180度規則のようなものなのかなと。
今回は、そこを打ち破るような作品を作ってみたいと思いました。だから展示では、作品を全部宙に浮かせています。床には何も置かず、すべて一定の高さにしているんです。
そうすると、どれだけ上に物量があっても、下には余白が生まれます。木彫なのに、重さだけではない見え方が出てくる。映画の180度規則をきっかけに、彫刻にとっての当たり前の置かれ方や見え方を、少し見つめ直してみたかったんです。

─ ステートメントの中で、「図像が立ち上がる場」や「スクリーン」という言葉が出てきますが、その部分について、もう少し伺えますか?
僕はこれまで映画と彫刻を組み合わせるような作品を手掛けてきました。
今回も映画言語から作品を構成しているのでこの言い回しをステイトメントに取り入れています。
映画は一コマ一コマが切り替わることで物語が生まれます。今この瞬間に映っているコマは、次の瞬間にはもう過去のものとして消えている。つまり映画は、絶えず消え続けることで初めて成立しているメディアなんです。
木を彫るときも、実はよく似た現象が起きています。木は年輪という、時間の積み重ねでできた物質です。刃物で彫り進めるということは、外側の新しい層から、内側の古い層へと向かっていく行為で、木がどんどん若返っていくような感覚があります。木にとっては、成長してきた時間を逆再生されているようなものです。
映画のコマも、木の年輪も、どちらも今そこにあるものは、次の瞬間にはもう失われている。時間を「再生する」行為だという点では同じですが、木ではその向きが逆なんです。
ただし、逆再生しているのは木の時間であって、僕自身の時間は普通に進んでいきます。木は彫るほど過去へ遡っていくのに、僕は彫るほど自分の体力と時間を消耗しながら前へ進んでいく。
僕はこの巻き戻される木材、木に対峙し彫刻し続けた時間を対置させて、その消失点として作品に穴を空けたんです。
穴は、もう一つ別の効果も生んでいて。たとえば映画を見ている時に、すごく物語に入り込んでいたのに、急に現実に戻ってしまう瞬間ってあると思うんです。
たとえば、役者の演技があまりにも不自然だったりすると、急に物語の外に引き出されてしまうというか。「あ、これは映画だったんだ」と気づいてしまうような感覚がありますよね。それまでのめり込んで見ていたはずなのに、ふっと元の場所に戻されてしまう。
それと、自分が作品の中で穴を彫ることが、少し近い感覚としてあるんです。
レリーフでは、彫り込まれた面全体が主役のはずなんですが、そこに穴を開けた瞬間、今度は穴の方が主役になる。それまで見ていた彫りの造形が、急に脇役に変わってしまう。穴という強いコントラストに視線が奪われることで、周りの造形は確認されないまま、ただの平らな面のように均されて見えてしまうんです。

─ 今回の作品では、穴の部分をかなり意識して作られているんですね。
そうですね。今回はそこを考えていました。
絵画やデザインでも、たまたまできた形や余白が、急に図像として立ち上がって見えてくることがあると思うんです。余白だったはずの部分が、絵のように見えてくるというか。そういう見え方を有効に使う作品もありますよね。
絵画でいうと、キャンバスに切り込みを入れたり、穴を開けたりする表現もあります。あの感覚を、レリーフでやるとどうなるのか。そこにどう違いを作れるのか、ということは考えています。穴があることで、視点がひとつ増えるような感覚に近いかもしれません。
─ 穴を見ているのか、その周りの面を見ているのか、焦点が変わってくるということでしょうか。
そうですね。どちらに焦点が合っているかで、見え方が変わってくると思います。
穴自体には、造形があるわけではないのですが、ただの空洞というか、枠でしかない。でも、そこに注目してしまうと、今度は周りの彫られている部分があまり見えなくなっていく。
その感じが、映画を見ていて、ふと物語の外に引きずり出されてしまう感覚と少し似ているなと思いました。
それまで主役だと思っていたものが、急に脇役に、あるいは背景になってしまう。逆に、何の形もないはずの穴の方が、中心に見えてくる。そういう認識の反転を、今回の作品には大きく取り入れています。
─ 作品の中で、穴が主役になったり、見る側の焦点が変わったりするというお話がありました。作品のタイトルも、その考え方とつながっているのでしょうか。個性的なタイトルが多いなと感じました。
タイトルは、けっこう気になってもらえるかもしれないですね。
今回の作品タイトルは、《video 2》以外の作品は、全部『不思議の国のアリス』の原作から言葉を引っ張ってきています。たとえばメインの作品は《rabbit-hole》で、「ウサギ穴」という意味です。
物語の中で、アリスが日常生活から空想の世界にドロップしていくというか、穴に落ちて異世界に着地する場面があると思いますが、今回は、そこから全体を構成しています。
その中で、「反転する」ということが面白いなと思ったんです。上から落ちてくるような感覚というか。アリスが原作の中で、真っ逆さまに落ちていきながら話している場面があって、「このまま落ちていったら、反対側の人たちを逆さまに見ることになるのかな」みたいなことを、子どもの妄想として言うんです。逆立ちする人たちを見ることになるのかも、というようなことを言っていて。
でも、たしかに落とし穴をずっと落ちていったら、真下にいる人たちにとっては、足が下から出てくるように見えるのかもしれない。そういう反転の感覚があるなと思いました。そのあたりが、今回の展示のベースになっています。
《orange-marmalade》という作品も、アリスが穴に落ちた時に最初に手に取るものが、オレンジマーマレードなんです。オレンジマーマレードは、当時のイギリスではどの家庭にもあるようなものだったらしくて、日本でいうと味噌のような日常的なものだったと思います。
異世界に行っているのに、そこにあるのが意外と日常生活のものだったりする。その感じが、ちょっと遊びとして入っているのが面白いなと思いました。だから、展示に入ってすぐのところに、その作品を置くことを考えました。

─ 配置も、そうした物語の流れを意識しているんですね。
そうですね。配置は考えました。
形もそれぞれリンクさせています。《orange-marmalade》の作品は、瓶の円を作るように、一箇所メインで丸い穴を開けて、そこから流動的な形を作っています。
ただ、展示ではあえて全部を説明しすぎないようにしています。強いステートメントを入れていないのも、そこは気づいてくれる人だけ気づいてくれればいい、という感じがあって。
美術作品って、全部言ってしまうと少し違うなと思うんです。
─ 映画や物語など、何か作品からインスピレーションを受けることが多いのでしょうか?
そうですね。だいたい映画だったり、アニメーションだったり、そういうものを少し取り入れて制作しています。
今回は個展だったので、一つひとつの作品というよりも、一つの空間全体を作ってみようかな、という感覚がありました。
─ 動きが見える映像作品などから影響を受けることもありますか?
そうですね。ストーリーがあるものから影響を受けることもあります。
あと、映像とは違うのですが。これは去年か一昨年に沖縄へ行った時の話なんですけど、海の中から海面を見たことがあって。それがすごく印象に残っています。
海面って、上から見ると波の角が立って見えるじゃないですか。でも下から見ると、逆さまになるので、波がもこっと回り込んでいるように見えるんです。その形を見た時に、「うわー」と思って。なんか、彫れそうだなと思ったんです。
それがひとつの始まりでした。そこから、流動的なものを木で起こしてみたら面白いんじゃないか、と考えるようになりました。形としても、この鑿だったらああいう形を作れるんじゃないか、というふうに考えたり。

─ 今後についてもお伺いしたいです。
そうですね。
今後も、自分がやったことのないことはずっとやり続けたいと思っています。一度やったことをそのまま繰り返すというよりは、まだ見たことのないものや、やったことのないことに向かっていきたい。
だから、木を掘らなくなる瞬間もあるかもしれないし、もっと他のものでいろんなことやってもいいかなと思います。木彫という表現にこだわっているというよりは、その時に考えていることに対して、どの素材や方法が一番合うのかを探していきたい。
今回は、自分が考えていたことと木という素材がうまくはまっていた感覚があって。初個展でもありますし、これまでずっと触ってきた素材がほとんど木だったので、一度ここでしっかり出してみるという気持ちもありました。
─ 今回のステートメントも含めて、作品を見る人に考えてもらいたいという気持ちがあるのでしょうか。
そうですね。全部を説明しきるというよりは、見る人の中で何か発見があると面白いなと思っていて。
僕は映画から学んでいることが多いんですけど、映画を見ている時に、自分で考えて、自分で何かを見つけた瞬間が、一番その映画を理解できたように感じるんです。そういう体験を、展示の中でも作れたら面白いなと思っています。
タイトルやステートメントも、すべてを説明するためというよりは、見方が少し変わるきっかけのようなものとして置いています。作品を見ながら、穴や余白、浮いていること、反転する感覚に気づいてもらえたら嬉しいです。
ー ありがとうございました。
Interviewer: Asuka Watanabe, Atsuya Nagata
Photo: Jun Tsuchiya (gallery installation)
菊地 寅祐 / 百八○° 個展
2026.7.3.Fri – 7.26.Sun
-Artist Statement-
映画言語に、百八〇度規則と呼ばれるものがある。向き合う二人の役者を撮るとき、両者を結ぶ一本の境界線を引き、カメラを片側だけに置く。イマジナリーラインとも呼ばれるこの線を跨げば、二人の位置関係は崩れ、観客は物語から現実へと巻き戻される。菊地寅祐の木彫は、その線の向こう岸から始まる。
作品はすべて天井に固定されている。照明と配置によって、陰影もまた固定されている。一定の高さに留まる塊の下へ、我々は沈み込むようにして立ち入る。
形状は定まった輪郭から崩れ、溶けるような起伏を見せる。彫られているのは具象的なモチーフではない。図像が立ち上がる場(スクリーン)である。スクリーンとは、面でありながら、その上を像が時間とともに横切っていく場所だ。かつて、その時間は遡ることができた。VHSビデオデッキで再生し、巻き戻し、また再生する。
木の側にも、畳まれた時間がある。立っていた年月が、切り出された瞬間に断面へ晒される。乾かされ、鑿が入る。彫り進むほど、木の持つ別々の時間が同時に剥き出しになる。木彫とは、その時間を巻き戻す行為でもある。木にとっては、断片的な記憶を強制的にフラッシュバックさせられる経験。だがテープと違い、二度と同じ場所へは戻らない。手ブレした立体から、彫り進むほどにピントが定まってゆく。
菊地の作品は、彫刻でありながら編集に近い。一九七五年公開の映画『ジョーズ』に、船上の主人公の背後を流れ星がよぎるシーンがある。合成か、偶然の産物か。スクリーンを横断するそれに、観客は一瞬混乱する。物語に沈んでいた自分が、座席に座っている自分を見つけてしまう。継ぎ目とは、その瞬間のことだ。
菊地のつくる穴も、同じ継ぎ目にある。最後に現れるその穴を境に、造形は跨がれ、背景へと反転する。穴は頭上にある。木の塊は落ちることなく留まり、その下にいるのは見る者だけだ。そして、穴を見上げる。何が見えるかは、ここには示されていない。
(現代美術研究家 斉藤 勉)
参照作品
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資料
スティーヴ・ブランドフォード/バリー・キース・グラント/ジム・ヒリアー
(杉野健太郎・中村裕英訳)
『フィルム・スタディーズ事典:映画・映像用語のすべて』
フィルムアート社、2004年
『ジョーズ』(監督:スティーヴン・スピルバーグ、1975年)
-Artist Profile-
菊地 寅祐
1998年生。山梨県出身。
2025年 東京藝術大学 大学院美術研究科 彫刻専攻修士課程 修了。
現在、同大学教員研究助手として勤務。
【開催日時】2026年7月3日(金)- 7月26日(日)
【開館時間】12:00-18:00 (月曜、火曜休館)
【会場】K ART GALLERY
*7月26日(日)は16時まで
Instagram: yin5901
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